« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

整体教室

整体教室ではしっかりとしたテーマは決まっていない。参加者の顔ぶれをみてテーマを決めているが、時にはリクエストを受けることもある。

今日は赤ちゃんを連れたご夫妻がお越しになったので、赤ちゃんの健康をテーマに話しをした。

整体では、赤ちゃんを抱いたときの重さで体調をみる。赤ちゃんがリラックスしていると、力が抜けているから、重く感じるものだ。好奇心の強い子ならば、反対にじっとしていないから軽く感じる。稀に何か異常があって、赤ちゃんの体が硬直しているせいで、妙に軽く感じられる場合もある。

赤ちゃんを抱いてみて、普段と重さが違うと感じたら、何か赤ちゃんにとっては変わったことがあったと想像してよいだろう。

アナーキズム

野口整体は、その思想を突き詰めるとアナーキズムに至る。野口整体の支持者と宮沢賢治のファンが重なる事が多いのは、おそらく偶然ではあるまい。

近代国家の国民のほとんどは、病院で生まれて病院で死ぬ。ところが、生と死という人間の生命の営みが国家によって管理される事に対する反発心というのが、野口整体に共感する人達には存在する様に思うのだ。まあ大げさな与太話なのだが。

最近、独立した整体指導者は大勢いた筈なのに、何故、今日では整体操法がろくに残っていないのかという事を考えていたのだが、答えは「思想の不在」にあるのではないかという仮説を立てた。

土壌が荒れれば花は枯れる。野口整体の場合、思想が土壌で技術が花だ。自己治癒力を信頼する生命観がなければ技術としての立処がないのだ。

具体的には、好転反応の問題がある。操法が上達すると、操法を受けた人の体に多かれ少なかれの好転反応が起こる様になるのだ。腹の調子の悪い人ならば下痢をするし、蓄膿ならば鼻水が大量に出るといった事が現実に起こってくる。それらは体が元気になる為には必要な現象なのだが、好転反応をよい事だと自信を持って言えるかどうかで、技術としての性格はまったく異なったものになる。技術だけを学んでも、それでは使い物にならないのだ。

さて、好転反応を突き詰めると、風邪が身体にとって必要なものだという野口整体の考え方に発展していくのだが、野口整体の支持者が不必要な投薬や治療を忌避する様になるのはもう必然である。そうなると、どうにも癒しとかロハスには、ほど遠いものになってしまうのだが、それが野口整体がいまいち広がりを持たない本質的な理由だろう。

セックス・アンド・ザ・シティ

セックス・アンド・ザ・シティ」を毎週楽しみに見ている。ニューヨーク在住、30代半ばの女性たちの恋と友情を描いたドラマだ。

作中には広告代理店の社長をやっているサマンサという女性が登場するのだが、ニューヨークのセレブ達との恋の遍歴の後に、彼女はレストランのウェイターと恋に落ちる。

ウェイターの本業は売れない俳優なのだが、サマンサは彼の窮状を見かねて、広告のプロデュースを申し出る。「だって彼は週休30ドルしか稼ぎがないのよ?」というのがサマンサの弁だ。

女は強い。「最近の若い男の子はパワフルな女がいても、恐がらない」というのもサマンサの弁。

そういえば高校生の頃、昼休みにミートソースのパスタを食べていた。僕の席の前ではTさんという女の子が食事をしていたのだが、ふとした拍子にミートソースがTさんの背中に跳ねた。(こういう事があるから、箸でパスタを食べてはいけない)

Tさんはクラスの女子の中心人物だったものだから、さあ大変。僕は女の子数人に机を囲まれてしまった。いやあ、やっぱりパワフルな女の子は恐いよ。

そういう僕だが、今は女性の力で保っている様なものである。自由が丘という立地からか、整体院のお客さんには女性が多い。みなさん、心も体もクタクタになるまで働いているが、パワフルなままでいてもらう為に、僕も力を尽くすところである。

女性の健康の為には骨盤の調整が重要なのだが、働いている女性の場合は、上半身の調整が必要になる。デスクワークのせいか、頚椎、手首、肩胛骨などを狂わしている場合が多い。

自分の彼女の化粧ッ気のない顔を見ていて思うのだが、体の中から出て来る肌の美しさというのがある。女性はコスメや化粧が好きだが、そうした物に頼らなくても、体が整えば自ずから美しくなるのである。

整体教室2月のスケジュール

1月28日(水)14:30~16:00「愉氣」
1月31日(土)14:30~16:00「愉氣」
2月04日(水)19:30~21:00「活元運動」
2月08日(日)13:00~15:00「活元運動」
2月11日(水・祝)13:00~15:00「体癖を知ろう」
2月14日(土)13:00~15:00「愉氣」
2月18日(水)19:30~21:00「愉氣」
2月25日(水)19:30~21:00「活元運動」
3月01日(土)13:00~15:00「活元運動」

「愉氣」と「活元運動」については予約の必要はありません。
お気軽にご参加ください。

2月11日(水・祝)の「体癖を知ろう」については定員制です。
参加ご希望の方は、電話またはメールにてご予約ください。

「体癖を知ろう」では、体癖についての講義を行ないます。
内容は体癖の見方や人間関係についての話が中心になります。

活法

先週は新年会が多くて、アルコールと共に一週間の記録が消えてしまった。

酒で身体が鈍っていたのか、今日は食事の際に米を喉に詰まらせて大騒ぎをしてしまった。水を飲んでも流れていかないので慌てたが、どんどん苦しくなっていく最中に整体の活法を思い出した。喉に何かを詰まらせた時には、胸椎四番を叩打するのである。

柱に胸椎四番を当てるつもりで背中を打ちつけたのだが、喉の詰まりが取れない。そこで、隣にいた彼女に胸椎四番を叩く様に指示して、叩いてもらったら、すぐに喉の詰まりが取れて楽になった。

整体操法には溺れた時、気絶した時などのそれぞれの局面で使う活法が存在する。僕も知識だけで使った事はなかったが、知っておくとこうして助けられる訳である。

活法の中には血圧を下げるという様なものもある。その場合は胸椎八番を叩打する。何年も前、工事現場で働いていた頃の話だ。ビルに入場する為には血圧検査を受けなければならない安全管理に厳しい現場があったのだが、仲間の一人が高血圧で入場拒否されてしまった。

そこで僕が胸椎八番を叩いたのだが、検査を受け直すと本当に血圧が下がっているので、叩いた僕も叩かれた彼も驚いた事がある。結局危ないという事で、入場は拒否されたのだが。

まあこういうのは悪用ではあるが、活法が存在する事で技術としての風格が出て来るのも事実である。

生存圏

整体を普及するにあたり、僕が注目するのはカイロだ。現在アメリカで法制化されているカイロプラクティックは、百年近くもアメリカの医師会に弾圧されながら仕事をして来たという歴史がある。その思想闘争の歴史に学ぶものは大きい。

その歴史をみていくと、カイロの医学的な正しさとか、学問的な整合性というのはそれほど重要ではなかったという印象を持たざるをえない。民主主義の国である。数が勝負なのだ。結局、アメリカが陪審制の国という事もあり、広く一般の人に支持されたという事実によって、カイロは生き残った。

目の前の整体を受けに来たひとりひとりの人を大切にしたいと、改めて思うところだ。ファンを増やしたい。

メソッド

野口整体のメソッドを一般の人にも分かりやすく伝えることに僕の世代的な責任がある。これは本当は野口さんの弟子たちの仕事だったはずなのだが、彼の天才が災いしてそれはうまくいってはいない。

彼の死によって弟子たちはすっかり自信をなくしてしまったのだ。弟子たちにとって野口晴哉という巨人は、人生に刻まれた巨大なトラウマだ。

先日惜しくも逝去された岡島瑞徳氏なども、一生をかけて野口さんを演じた様なものではないか。

しかし他人にはなれないのだ。彼に憧れても意味はない。僕は野口晴哉伝説を物語るのではなく、喩え拙くとも可能な限りの自らの言葉で整体自体を伝えたいと思う。

超高齢化社会

寒いせいか、腰を痛めた人からの問い合わせが多い。それもご高齢の方からのものが多い。

年をとってからの健康というのは、若い頃からの貯蓄の様なものだ。年をとって、体がボロボロになってから、慌ててなんとかしようとしても、それは無理だ。

日々人の体を見ていて、人間の身体は何十年も使う様には設計されていないんじゃないかと思う事がある。この超高齢化社会にはおいては、幸せな将来の為に若い頃から身体を手入れする事が必要だ。

僕は、野口整体はその最良の手段のひとつだと確信している。

ジャンクフード

夕飯にカップラーメンにレトルトカレーをかけて食べたのだが、味がいまいちだった。前回は醤油味のもので試して旨かったので、今回は味噌ラーメンに入れてみたのだが失敗だった。

ジャンクフードに食べなれていると、高級なものの味が分からないという事がある。昨日は3000円と1700円のステーキ肉を買ってきて、ステーキにして食べ比べてみたのだが、1700円のステーキ肉の方が口に馴染むという経験をした。まあ僕はあまり食べ物にうるさい性質ではない。

食べ物というと、整体では消化器の働きやすい体質の人間を三種、逆に消化器が働きにくくなりやすい体質の人間を四種と呼んで区別している。三種と四種を合わせて左右体癖と呼ぶが、このタイプは食べ物にうるさい。

興味深いのは三種と四種で食べ物の好みがハッキリ分かれることだ。消化器の働きが落ちやすい四種は、一般に消化の悪い物を好まない。例えば、刺身や脂っこいものが苦手だし、ワサビなどの刺激物も好まない。また、一度に沢山に食べられないから、ちびちびと食べる。したがって食事の時間は長いし、間食も多い。本人は一度に沢山は食べない為に小食ぶるのだが、食べる総量は多い。

反対に三種というのは、消化器がよく働くものだから何でもよく食べる。料理の味にも鷹揚だ。ただ、腹が減るとすぐに不機嫌にはなる。食べ物の好みからいうと、カレーやパスタ、オムライスなどの子どもが好む様な物を喜ぶ様な傾向がある。

四種の女性を食事に誘いたいのなら、料理が小皿で少しづつ出て来るフランス料理屋にするべきだし、三種の女性を誘うのならば料理の量が多いイタリア料理屋にするといい。

体の知恵

体が元気になる時に、体内に溜まった鼻水や便などの老廃物が、大量に排泄される現象を好転反応と呼ぶ。活元運動では相当続けないと排泄反応まではなかなか進まないが、整体操法の施術を行なうと、排泄反応が手っ取り早く起こる事が多い。

好転反応の後、身体が別人の様に元気になっているのを見る度に、人間の体は偉大だと思う。今日も好転反応で下痢をしたという人の身体をみたが、むくんでいた体が、引き締まった体に生まれ変わっていたので驚いた。脊椎は整然と並んだ真珠の様だ。

編集

野口さんは間違いなく天才なのだが、その天才性は独創性よりは編集能力に本質があったのだと思う。整体操法制定委員会には、さまざまな民間療法の技術が集められたが、その中で彼は編集長的な役割を担った。現在のシンプルな様式によくまとめたものだ。

方法論の中心になったのは、当時日本に流入していたカイロやオステオパシーなどの脊椎にアプローチする技術だったと考えられる。ただ、『霊学講座』をみても、脊椎と神経の反射図などが載っているから、松本道別氏からの流れもあるのかもしれない。

結局、整体操法では、脊椎を全身の健康状態が反映される観察対象として位置づけ、療術師たちの持ち寄ったそれぞれの技術は脊椎を整える為の手段として整備された。

その為に実際に整体操法を学んでみると、理論と実際の施術とが乖離して感じられることがある。起源の異なる雑多な技術をひとつの体系としてまとめているから、その様に感じられるのである。

間違い

『臨床家のための整体操法入門』の記述に間違いがあった。胸骨のすぐ脇にある調律点が「胸部活点」という名前で紹介されているが、それは用語の間違いだ。睡眠に関係するこの場所には特に名前がついていない。

間違いは次の版から修正される。また、在庫分には修正のプリントが挟まれる予定だ。既にお買い上げ頂いている方には、ご迷惑をおかけする。修正では「肋骨の急処」と記述した。

胸部活点というのは、鎖骨の中にある調律点のことだ。整体では禁点と呼ばれて安易に操作することを戒められた場所でもある。肺の血流に関係するが、 昔日、結核の人の胸部活点を操作すると、喀血する事があった為に禁点とされた。『臨床家のための整体操法入門』には、胸部活点や矯体操法の内容は意図的に載せていない。

脈2

整体操法は戦前に当時の療術をかき集めて創られたものだ。直接的には松本道別の霊術の影響が強い。最近になって人から松本道別の本を借りて久しぶりに読んだが、ユーモアのセンスまで、野口晴哉氏は松本道別氏から影響を受けていることが分かった。

例えば、松本氏の代表的著作である『霊学講座』には、首を絞められたときに対処する方法というのが紹介されているのだが、松本氏のコメントというのが、これで甘粕大尉(アナーキストの大杉栄らを殺害)に首を絞められても大丈夫というものである。そこはかとない底意地の悪さは、やはり野口氏の師だと思わせるものだ。

松本道別の話になってしまったが、本当は脈の話を書こうと思っていたのだった。整体の技術には元ネタがはっきりしているものが多いのだが、脈が僕には長年の謎だった。鍼灸にネタがあるのかと思って、岡部素道氏の本やらいろいろな文献を漁ったが、結局分からなかった。整体操法は技術の流用が多くて、案外野口氏のオリジナルというのは少ないのだが、もしかしたら脈というのは野口氏のオリジナルであったのかもしれない。

脈は僕の研究テーマだ。本で読んだり、人から聞いたりした話だと、チベット医学やインド医学の技術者は、脈で昨日食べたものまで分かるという。本当だとしたら凄い話である。

整体では脈をみることを行なう。実は僕が観察で一番重要視しているのは脈であったりもする。なぜ「実は」とことわるのかというと、普段の施術では背骨を観察するだけで脈をみることは行なわないからだ。しかし、脈というのは身体の様々な情報を伝えてくれる。僕はここぞという時には脈をみる。

整体の脈は大別すると高潮の脈、低潮の脈、千鳥の脈、二の字の脈、一息四脈の五つの脈を見分けて使う。脈を見分けるのは実は難しいのだが、脈がみれると今後の経過の検討をつける事が出来るので重宝している。

一般の人でも遊びで脈をみてみるとおもしろかもしれない。例えば、身体には高潮と低潮の波があって、それが大体ひと月ほどで交互に入れ替わっている。

高潮の時期には、身体は元気で睡眠時間も少なくて済むし、あまり食べなくても平気だ。身体の活動期なのだ。ケガや病気をしても回復は早い。反対に低潮の時期には、身体は休養を欲して、睡眠時間は長くなるし、いっぱい食べたくなる。この時期の不調は注意が必要だ。

何かあたらしい事を始めるのならば、高潮の時期を僕はお薦めするし、低潮の時期に特別に疲れているのならば、温泉にでも入って体を休めることを薦める。まあみなさん脈のことなど知らなくとも、自然とそうしているから、余計なお世話かもしれない。

肝心の脈の見方だが、高潮の時期には脈は手首から指先に向かって流れている様に感じるし(実際に血液がその様に流れているという訳ではない。その様に感じるということだ)、低潮の時期には血液が心臓の方に向かって流れている様に感じられるものだ。分からなければ、整体教室ででも質問してほしい。

懐古趣味

大学受験の時に予備校に通っていたのだが、そこの校長先生というのが滅法おもしろかった。当時50代も半ばの男性だったが、いつも濃い色のサングラスをしていたのが印象的だった。

全共闘世代の活動家崩れには、食いっぱぐれて予備校の教師をやる様なのが多いのだが、校長先生もその一人だった。

予備校の教師というのは、勉強を教える能力よりも、生徒のやる気を引っ張る話術やパフォーマンス能力が求められる。校長先生は英語を教えていたが、その授業は活動家時代に磨いたであろうアジテーションによって学生たちに人気があった。

僕の郷里は石川県なのだが、校長先生のアジテーションでは東大を出ても、石川県に戻って来たら、地元の地銀に就職するのが関の山だ、都会に出て活躍しろというのが決まり文句だった。地方都市の都会に憧れる学生たちは目を輝かせて彼の話に耳を傾けたものだ。

僕は昔からひねたところがあって、素直にそういう輪には加われなかった。よく授業をサボって、妙に馬があったMくんという友達と共に、ハローワークの前という絶妙なロケーションにあった公園のベンチで昼寝に勤しんだものだ。

最近、校長先生の近況を耳にしたのだが、末期癌で余命いくばくもないというのである。なんとなく彼のことを思い出してこの日記を書いている。

人間には低潮と高潮の波がある。それは脈で観る。低潮の時期には昔のことばかり思い出すものだが、いまの自分の脈をみるとやはり低潮だ。

頭に気が上る

当院に時々整体を受けに来る方で、頭に気が上がって降りなくなると訴える方が何名かいらっしゃる。どの方も面識もないだろうに、頭に気が上がって降りなくなると同様に表現されるので興味深く思った。

どの方も事務職に就かれているので、テクノストレスの影響だろう。目の疲れと合わせて、頚椎と手首を狂わせているのが大概で、上肢や頭部を弛めると、急に体が楽になるとおっしゃる方が多い。

マレーナ

 マレーナ マレーナ
販売元:TSUTAYA online
TSUTAYA onlineで詳細を確認する

「マレーナ」を見るのは何度目だろう。モニカ・ベルッチが美しい。「マトリックス」に出て来る変なゴスロリ女はかつての彼女の残骸なのだ。

体の変化

上手な操法というのは、その場で体が劇的に変わるというよりも、一晩寝た後に効果を発揮するものだ。翌日の歩く時の体の軽さや目に飛込んでくる空の青さなどによって、体の変化を感じることだろう。(以上は僕の経験だ。)変化を味わってみてほしい。

セミナーレポート

そういえば、現物は確認していないのだが「月刊 手技療法」の一月号に先日のセミナーの様子がレポートされているはずだ。興味のある方は読んでみてください。

一触

散髪に行ったのだが、一時間ほどあった待ち時間の間に、働いている従業員を眺めていた。その店には店員が8人いたのだが、眺めているうちに他の店員のおよそ1,5倍の速度で仕事をしている一人の男性店員を見つけた。速度を追求したその仕事ぶりは工場のラインの様だ。あの人に当たったら嫌だなあと思っていたのだが、その人が担当になった。

美容師の善し悪しは髪や肌に触れるコームや鋏のちょっとした感触で知れる。一見して雑だったその男性店員の鋏使いはやはり雑だ。耳の後ろにはさまった髪を払うその仕草のひとつひとつまでが気になってしょうがない。

触れる或いは触れられるというのは奥深い体験だ。整体でもちょっとした触れ方にその人の体調や性格などが反映される。おどおどした性格の人は自然と触り方もおどおどしたものになるし、気の強い人の触り方は当たりの強いものになる。人に触れるただ一触に、自分の経験や技術をどれだけ込められるのかというところに整体の難しさとおもしろさがある。

頭は山賊の様になった。

ロスカボス

最近は関係各位からクレームがつくので、日記も書きにくくなって来た。そういえば、音痴はよくなってないんじゃないかとのご指摘もあったが、そのうちお耳汚しの機会をつくろう。

以前は日曜日定休だったのだが、日曜日に予約を希望する人が多いものだから不定休とした。ワーカホリックになりやすいタイプなので、上手に休まないと。

今日は仕事の合間に渋谷に食事に出かけた。「ロスカボス」というバイキングをやっている店に入った。初めての店だったが、チョコレートフォンデュがあっておもしろかった。ズッキーニがたっぷり入ったトマトパスタが旨かった。トマトの酸味がしっかり利いているのだ。

ロスカボス

高田イズム

晩飯を食べに外出したら、彼女が顔が乾燥してブスになっていると言うものだから、鏡に向かって私は美人だと言えと伝えたらば、美輪明宏の路線でも狙っているのかとのお言葉があった。いつもそういう調子で話すものだから、僕は高田純次だと言われる。

 

心身症

野口晴哉氏の思想で一番興味深いのは、家族論かもしれない。心身症との関連で語られる家族論には、よい意味での論理の飛躍がある。例えば喘息の子どもがいたら、母親の抑圧が強いのではないかという様な視点がそうだ。

あまり心の問題を扱わないとは言ったが、体だけを見ていても解決しない問題というのはある。ただ、こういった心理指導的なものは取り扱いに気をつけなくてはならない。

ひきこもりが社会問題として取り沙汰されていた頃も、子どものひきこもりがすべからく親の責任論に結びついて、心の問題が、カウンセラーから親への抑圧として機能しがちだったものだ。(僕が、活動家くずれの全共闘世代の子どもは、ひきこもりになりやすいという自論をもっている事はここだけの話だ。)

整体を受ける人との間に信頼関係があると、必然的に様々な家族事情を知ることになるが、氣を使った施術というのはただでさえラポールを形成しやすいのだから、整体をする人と受ける人とが、人間関係の適切な間合いを保つことは重要だ。

整体に興味があるという女性から相談を受けた。話をお伺いすると、心と体の双方を癒せる手技を身に付けたいということだった。

野口整体で心と体の関係というのは、「腰」という言葉でよく語られる。「腰が抜けている」とか、「腰が入っている」といった言い回しがあるが、整った姿勢にある種の精神性を見出す日本的な身体美学だ。実際に気持ちの暗い人というのは、うつむき加減で胸がふさがっているものだが、姿勢を整えることで変わる気分というのはある。整体操法を学ぶことは、心と体の癒しに大いに役立つことだろう。

ただ、こういうのは紙一重なんだよなあ。心の問題というのは、扱い方を間違えるとすぐにカルト化するから、あまり直接には扱わないというのが僕のスタンスだ。

ボディワークとの関連でいうと、過呼吸を使う様な呼吸法は中途半端にやると危ない。精神世界に没入させる作用が強過ぎるので、精神のバランスを崩しやすい。禅病というか、ノイローゼになる。話が脱線した。

身体論に絡めて、ナチズムとボディビルディングの間に横たわる深い闇について語りたくなってきたが、口が滑らないうちに今日はもう眠ることにしよう。

藁をもつかむ思いで

3、4ヶ月前に数人から髪が薄くなったと言われたので、頭の硬結を捉える事を続けていたのだが、最近になって髪が増えたとのお墨付きを頂くことが出来た。しかし、これは相当しつこくやらないとこれは効果がないな。ここしばらく暇さえあればパラノイアルに愉氣を続けていた。

昔、自分が教わった時は、教えてくれた人が禿げていたものだから、ホントに効くのか?笑止千万と思ったものだが、当事者になると笑えなかった。7種は禿げやすいのだ。

正月肥り解消講座

仕事で中野に行った。中野には必ず立ち寄る寿司屋がある。店主の仏頂面とは裏腹のやたら甘ったるいシャリが特徴だ。晩飯にシメ鯖と魚のアラ煮を買って来て食べた。鮨を食いながら飲む緑茶はどうしてこんなにも旨いのか。

年末年始、好き放題飲み食いしているので少し肥った。1月12日(月・祝)には「正月肥り解消講座」があるので丁度いい。あまり自分に関係のないことをやっても、興味がもてないのだ。体重計に乗った。当事者として参加したい。

頚椎四番

朝まで歌舞伎町で飲んでいた。コマ劇がなくなるというニュースを聞いていたので見に行ったが、もう看板は無くなっていた。街も姿を変える。十年ほど前の歌舞伎町は終電を過ぎる頃には、その筋の人が闊歩するいかがわしい街だったという記憶がある。(サファリパーク的な意味で)猥雑な魅力があったものだが、すっかりのっぺりした街になってしまった。

酒を飲んだ後はカラオケに行ったのだが、自分の音痴が改善されていて驚いた。最近、頚椎四番が音痴と関連するのではないかという仮説を立てているのだが、サンプルがもっと必要だ。

好転反応

米の味が落ちてきた。いまの炊飯器も十年使っているので故障かと思ったのだが、過熱面をみると錆が浮いている。そこで錆落としを買ってきて、錆を落としたのだが、米を炊いてみるとちゃんと米の味が戻っている。人間の体と同じだ。

体にとっての錆というのは、体内に溜め込んだ不要な老廃物に他ならない。自己治癒力が回復して来ると、老廃物を排泄する働きが高まって来て、大量な大便や鼻水が出る事があるが、好転反応もそこまでいくと本物だ。

好転反応は三段階で進む。倦怠感や眠気を感じる「弛緩期」、体が熱っぽくなって排泄の準備をする「過敏期」、老廃物を排泄する「排泄期」の三段階だ。

便秘しやすかったのが、好転反応で大量の下痢をして以来、お腹の調子がよくなったという様な事も多い。操法によって体が変わるというのも好転反応によるところが大きいのだ。

自分の腕で相手をよくするつもりになっていると、体をよくするのは大変だ。好転反応を上手に使うところに操法のコツはある。

好転反応について事前に説明があっても、実際に自分に起こると、驚いて電話をかけてくる方は多い。特に過敏の時期に不安になるようだ。アフターケアも重要だ。

興味深いのは、五種や七種などの行動型は、過敏の時期よりも弛緩の時期に不安になるらしいことだ。ジッとしていられないタイプだから、ダルくなる弛緩の時期が耐え難いのだろう。

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

フォト

整体の施術・教室

無料ブログはココログ
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック