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2009年3月

標準化

渋谷で贔屓にしていた中華総菜屋に久しぶりに行ったら、すっかり普通のお店になっていてガッカリした。中国人のやっていた店で、本格中華の癖のある味が気に入っていたのだが、それがスーパーに置いてある様な中華総菜を扱う店になっていた。誰かの入れ知恵に違いない。従来、その店のジャガイモの炒め物はなんだかよく分からない香辛料で味付けされていたのだが、それがケチャップで味付けされてしまっている。しかし、結果的に客は増えている。標準化した方が、おもしろくはなくても売れるのだ。僕は猥雑さを愛するがゆえに、総菜屋の変貌が残念でならない。

体を観る事

整体を受けた方から痛くないのに効くから不思議だと言われたのだが、僕の整体は痛みがない訳ではない。硬直している場所は、少し触れただけでも痛むものだ。

ただ、痛みの性質というのは厳密に区別されるべきだ。グイグイ押して痛いのと、筋肉の硬直や硬結に触れる事で生じる痛みはまったくの別物だ。硬結に触れられた痛みというのは、体が弛んでいくので、痛みの中にも快感がある。

整体操法を学ぶと、様々な調律点(ツボ)の使い方を知る。すると、体に何か押せば元気なるスイッチの様なものがあるかのように錯覚をしがちだ。そうした人は指で強くグイグイと押す様な施術をしてしまうのだが、それでは人間の体は元気にはならない。人によって体の急所は異なるのだ。

知識にとらわれずに、ひとりひとりの体を観ていく事が大切だ。

整体教室4月スケジュール

4月01日(水)20:00~21:30(開場は19時30分)「活元運動」
4月05日(日)13:00~15:00「春における整体」
4月08日(水)20:00~21:30(開場は19時30分)「愉気」
4月12日(日)13:00~15:00「整体の風邪に対する考え方と手当て」
4月15日(水)20:00~21:30
(開場は19時30分)「愉気」
4月19日(日)13:00~15:00「掌に現れる健康」
4月29日(水)20:00~21:30
(開場は19時30分)「活元運動」

教室への参加は、ご予約は不要です。

お茶屋さん

帰省の際に茶屋街へ行った。金沢は戦災を免れているので、江戸時代の古い家屋が残っている。写真はミ シュランで一つ星を取った古い茶屋。雰囲気のある建物だった。

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月経2

月経は骨盤とも関係が深い。妊婦さんのお腹を見れば想像が出来るだろうが、骨盤というのは一般に考えられている以上に動きのある骨だ。

骨盤は月経の初期には締まり、後期には開いて来る。月経でイライラしやすい女性の体をみると、骨盤が閉り過ぎている。骨盤が閉りっ放しで開かない と、体のテンションが高まってイライラしてくるのだ。(余談だが、性的なテンションの盛り上がりを感じる時にも、骨盤はやはり閉っている。人間は心身のテ ンションが上がる時には骨盤が閉るのだ。)

そうした方は激しいスポーツや無理なダイエットで、体を引き締めている場合が多い。

男性の美と女性の美は、基準が異なるべきではないだろうか。鍛えた体というのは男性の美だ。アメリカ映画で見る女優の体は見事に鍛え上げられているが、僕はあれが美しいとは思わない。フェミニズムの弊害だ。

女性らしい体というのは、骨盤の動きのいい体の事をいう。骨盤の動きよい女性は肌も綺麗だし、実年齢よりも若くみえる。

具体的にいうと、骨盤の動きのよい女性というのは、骨盤の閉じる月経の初期には穿けたジーパンが、骨盤の開く月経の後期には穿けないといった現象が起こってくる。それほど骨盤の動きが大きいのだ。

慣れると、腰を見て月経の有無は分かる様になる。僕は整体を受けに来た方の月経を言い当てて驚かせる事があるが、それは骨盤の形を見ているのだ。時々間違えるが、そうした場合に話を聞いてみると、筋腫があるという事が多い。

そして、なぜ月経の有無を確認するのかというと、月経の時は骨盤が動きやすいので、骨盤を整えるチャンスなのだ。女性の操法は骨盤の動きをよくする事がポイントとなる。

月経1

月経不順に悩んでいる女性の体をみると、便秘をしている場合が多い。そうした場合には、親指とひとさし指の間にある便秘の急処が分厚くなっているので、確認が出来る。また背骨をみると、便秘の人は腰椎二番の三側が強張っている。

なぜ便秘が月経に悪影響を与えるのかというと、便秘と月経不順を混同する事が多いのだ。排便をした途端に生理痛がなくなるという事もある。僕は生理痛の女性には、便秘の急処に愉気する事で排便を誘導する。

また月経周期と食べ物は関係が深い。肉などの栄養価の高いものを中心に食事をすると、月経周期は短くなり、野菜や米などの栄養価の低いものを量で食べると月経周期は長くなる。

月経不順で病院へ行くとホルモン剤を渡されるそうだが、ホルモン剤の副作用に悩む人も多い。試してみてはどうか。つまり、いい物を食べてくださいという事だ。

帰省

友人の結婚式に出席する為に帰省した。郷里の石川県の名物は蟹と曇天だ。着くなり雨に降られて難儀をした。石川県には財布を忘れても傘は忘れるなという言い回しがある。

結婚式は久しぶりに友人達が集まる楽しい会となったが、その翌日には出席者の友人の身内に不幸があり、新郎新婦共々、葬儀に参列する事となった。

東京にいると自分の年齢を感じる事はないのだが、昔から付き合いのある友人達の姿を目にすると実感がある。仕事を何年か続けていると、銀行員は銀行員にしか見えないし、警官はやはり警官にしか見えなくなってくる。職業の身なり、振る舞いが身に着くのだ。

そういえばセミナーに集まる人の顔ぶれを見ても、カイロプラクターはカイロプラクターにしか見えないし、指圧師は指圧師にしか見えなかった。本人に聞かなくても分かるくらいだったが、尋ねてみるとやはりそうだ。

整体の指導者にも、それらしい雰囲気というのがある。昔日の任用試験では、品がないというのが不採用の理由になったと聞くがそういうものだろう。仕事をして創っていく雰囲気というものがあって、それはおそらく腕以上に決定的なものだ。

狂気

僕は整体のセラピー的な面ばかりを強調しているが、それはそうするのが穏当だからだ。

整体操法というのは元々は治療術だ。盲腸炎の操法という様なものが大真面目にある手技なのだ。ただ、今の時代にそれをやるのは不可能だし、また不必要だとも思う。

僕は技術者だから、この技術の限界もよく分かるのだ。個人的なブラックジャック体験もあるから、整体操法が恐ろしく強力な技術だというのも知っているのだが、正直、社会的な扱いが難しい。

自分が上達すればするほど、野口晴哉という人物には狂気を感じる様になった。よくこんなものを何百、何千人単位で教えたものだ。

整体は体と心の相関関係を巧みに説いている。体はどこも悪くないが、身体論に惹かれて整体に興味を持ったという人も多い。

例えば、整体ではイライラしやすい人は肘が固いという様に教えている。人は頭に来ると拳を握りしめて怒りに耐えるが、そうした気分の時には肘に力が入るのだ。

しかし、少し考えると興味深い疑問が生まれる。イライラすると肘が固くなるのか、肘が固くなるとイライラするのか、どちらが正しいのだろうか。

それは、どちらも正しいのだ。ただ、心というのは目にも見えないし、実体もないから扱う事が難しい。だから、整体では体の調整を通して心を整えるというアプローチをとる。

整体で肘を手当てするとしても、それは肘という物体を調整しているのではなく、その実、イライラしやすい精神状態を整えているのだ。

オールナイト裏日本

整体を受けに来た方から、先生は職人には珍しくコミュニケーションの取れる方で安心しましたと褒められて、意外に思った。どちらかというと、僕は人の話を聞かないと責められる事の方が多い。

そんな僕でも、少しは人の話を聞けるとしたら、それはラジオを聴く習慣がある為だろう。郷里の石川県にいた頃から、深夜ラジオをよく聴いたものだ。オールナイト日本などが懐かしいが、日本海側の石川県ではAM局に韓国の放送局が混線するので、聞き取るのに苦労をした。

今はポッドキャストで聴けるから、便利になったものだ。僕はTBSのストリームを視聴している。ストリームはコラムニストやライターなどの文筆家が話をする番組だったが、どなたも話がおもしろい。

要するに、おもしろい文章を書く人は、それ以上に人物がおもしろいのだ。(逆もまた然りだ)そのストリームは今月いっぱいで放送が終了するそうだが、しばらくは耳寂しいのだろうな。

自信

サラリーマンをやっていた頃、同僚に営業マンで課長だったTさんという方がいた。Tさんは大阪出身だったが、ずけずけとした物言いと強引な性格で社内では嫌われていた。

ある時、Tさんの下に新入社員がついた。Tさんは上司として、教育する事になったのだ。部下になった新入社員は、Tさんに同行して客先を回る事となった。

Tさんの指導は大層厳しいもので、新入社員は僕に愚痴ったものだ。Tさんはどのお客さんの所に行っても同じ話しかしないというのだ。つまり、話題の乏しいつまらない奴だと。しかし、僕は違うなあと思った。同じ話でも何でも、客先で話せるそれがあるというのが強いのだ。

整体をやっていても、あの先生はこう言っていた、この本にはこう書いてあったと、他人の話ばかりを振り回す人がいるが、それは自信がないという事の証明だ。その人にしか出来ないオンリーワンがあるというのがやはり強いし本物なのだ。

K先生

今年は2月になってから寒暖の差が激しく、ご高齢の方には辛い年だった様だ。整体の指導者も相次いで亡くなっている。亡くなられた中でも、K先生には勉強会でお世話になった。野口晴哉さんの高弟で、超一流の技術者だった方だ。

K先生とは練習で組んで頂く機会が何度かあったが、調律点を押える技術ひとつとっても、こんなにも体に響くのかと驚いたものである。上肢第二と整体操法で呼ぶ調律点があるが、そこをK先生に触れられた時の体に突き刺さる様な衝撃は、まだ自分の手に残っている。あの感触は長い間、僕の目標だった。再現するべく工夫したものだ。

ところがこの先生、話すのはサッパリだった。ご自分でもおっしゃっていたが、言葉では説明出来ないタイプなのだ。「あの人が何を言っているのか、私にはサッパリ分からんのです」というのは、勉強会に出ていたある指導者の弁だ。僕は「まったくそうですね」と応えながら、目をかっぴらいてK先生の動きを一瞬たりとも見逃すまいとしたものだ。あのレベルになると、もうウットリ眺める鑑賞の対象なのだ。無形文化財なのだ。K先生から話を聞いて学んだ事は何もないが、見て教わった事は数知れずある。

もしかしたら、古い指導者は職人気質だから、自分の技術を人には教えたくなかったという事もあるのかもしれない。本質的に職人は盗まれるのを嫌ってその技術を隠すものだ。学校教育の倫理から違和感を持つ人もいるかもしれないが、職人の世界では当り前の事なのだ。

北斗の拳

空手の稽古に使う木刀を買いに行った。その後に友人と食事をする約束をしていたのだが、その席でたまたま『北斗の拳 愛憎版』を貰った。

ちょうどカバンを持っていなかったので、帰りには右手に剥き出しの『北斗の拳』、左手に木刀を抱えるという哀れな恰好で渋谷の街を闊歩する事となった。

『北斗の拳』は80年代に一世を風靡した拳法マンガだが、経絡秘孔という一種のツボを押すと人体が爆発するという描写で人気を博した。ツボという東洋医学の概念を広めたという点で、『北斗の拳』の功罪は大きい。

整体操法にも、やはり調律点という一種のツボの使い方がある。調律点では便秘ならココ、お腹の調子の悪い時ならココという様に使い方が指定されていて、体を整える為には便利なものだ。その一部は『臨床家のための整体操法入門』にも紹介した。

整体操法では、骨をバキバキと矯正する事もないし、マッサージをして筋肉を揉みほぐす事もしない。整体操法は調律点に氣を通す事によって、体を調整していく技術なのだ。

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背骨は語る

以前、ボクシングプロの背骨を見た。僕は彼がボクシングをやるとは知らなかったが、触れるとすぐに何か格闘技をやる人だと分かった。背中がつきたての餅の如く柔らかいのだ。

一年ほど経って、再び彼の背中に触れる機会があったが、その背中は普通の人のものであった。聞いてみると、引退したとの事である。人は背中で語るのだ。

背骨には人生が現れる。整体がおもしろくなるのは、背骨が読める様になってからだ。知らない人はゴツゴツした棒の様に思うかもしれないが、実に表情が豊かなのだ。

僕らは表情から、笑っている、怒っている、悲しんでいるなどの感情を見て取るが、時には作り笑いに騙される事もある。その点、背骨は嘘をつかない。

何か悲しいことがあった時に人は胸を痛くするが、感情は感情として自律して存在しているのではなく、体に根拠があるのだ。我慢をすれば、それは胸椎三番の硬直として表れるから、背骨に触れる事でそれと知ることが出来る。背骨を見るのはその人を知ることなのだ。

銭ゲバ

毎週楽しみに見ていた「銭ゲバ」が今週で最終回を迎える。

原作は70年代のマンガだが、物語の最期は主人公の自殺で幕を閉じる。経営する会社の工場から出た排水が原因で、障ガイを負った近隣住人から集団訴訟を起されて、主人公は築き上げた富を失うのだ。ドラマではすでにオリジナルのストーリーへ進んでいるから、どの様なラストを迎えるのかが見物だ。

ドラマでは、財産を手に入れた主人公の蒲郡風太郎は、金を様々な人間に与える。貧乏でも心が満たされていれば幸せというのが口癖だった一家の借金を暴き、資金援助を匂わせる。ところが、金を貸してくれと実際に頼んで来ると、やっぱり金が大事だったのかと激昂するのである。

蒲郡風太郎は本当は自分の予想を裏切って、金よりも愛が大事だと証明してほしいのだ。「銭ゲバ」は守銭奴の立身出生の物語ではなく、愛の存在証明を求める男の話である。物語の最期に蒲郡風太郎は愛を見つける事が出来るのだろうか。


流れよわが涙

整体を受けに来た方が、活元運動についておもしろい言い方をされていた。活元運動を行なって、体の中に薬品も入れていないのに涙が出てきたという人がいて、不思議だったと言うのだ。そうおっしゃっていたのは医学生だったので、ますますおもしろかった。

薬品がなくても人間は変わる力を持っている。整体では体に元々備わった元気になる為の力を活用する事を薦めている。

心と体はひとつのものだ。小水がつかえれば焦るし、便秘をすればイライラするのが人間だ。体が弛む事で心も弛むから、心の浄化作用として涙を流す人もいる。薬に頼るのは、体を弛める事を試してからでも遅くないのではないか。

操法をしていて時々涙を流す人がいるが、別に僕の整体が泣くほどひどいという訳ではない。涙を流すのも、好転反応の一種なのだ。

深息法

ズボンを買った。久しぶりに新調したが、また胴回りが太くなっていた。整体の呼吸法を行なっていると腹が出て来るのだ。ちょうどキューピー人形の様な体形だが、断じてメタボではない。

整体に限らず東洋的な健康法では腹を鍛えることを重要視するが、体力のある人は腹がしっかりしている。背骨と合わせて、腹は全身の体力が表れるところだ。下腹にきちんとした力のない人には、金を貸してはいけない。返す力がないからだ。

深息法という呼吸法を整体では薦める。深息法によって、呼吸が深く下腹まで落ちる様になる。気分が落ち着き、お腹の調子がよくなるので、どなたにでもお薦めする事が出来る。

深息法のやり方は『臨床家のための整体操法入門』にも紹介したが、次の様に行なう。
①お腹を膨らませる様に息を吸い込む
②お腹をへこませる様にして、更に息を吸いながら、息を胸に吸い上げる。
③口を閉じて、「ウーム」と少し息を漏らしながら、息を腹に飲み込む。
④お腹が膨らむ感覚をしばらく味わった後に、ゆっくりと息を吐いていく。

深息法では最期にゆっくりと息を吐いていくが、その深くて長い息に価値がある。体がどんどん変わっていくので、毎日続けてほしい。

愉氣

愉氣とレイキ、気功などの違いについて質問を受ける事がある。僕がレイキや気功をよく知らないという前提はあるが、体験者の話を聞くと別物なのかとは思う。

例えば、中国の気功では気を何かエネルギー的に捉えていて、使えば減る物だと考えているようだ。気功師は電池に電気を溜める様に、体に氣を蓄える修行をするそうだ。

一方、野口整体では氣についてその様な考え方をしない。氣をエネルギー的には捉えていないのだ。腹が痛くなった時に手で触れる様な事は誰でもやっているが、それは手に備わった本能だ。気分を悪くした人の背中をさする様な光景は日常に見られるものだが、そうしたお互いがかばい合う関係性に氣の本質はある。

氣は使えば減るのだろうか?それは分からないが、僕の場合は愉氣をしていて疲れるという事はない。時に野口晴哉さんの早世が、健康法の指導者にあるまじき事として揶揄されるが、あれは過労死だろう。一日に200人近くもみる生活をしていれば、寿命も縮む。早世と氣とは無関係だ。事実、僕は高齢の指導者も大勢知っている。

浪速の華

先週の放送で最終回を迎えたが、「浪速の華」という時代劇が放送されていた。

「浪速の華」は、幕末に活躍した蘭方医の緒方洪庵を主役に据えたドラマだ。緒方洪庵は蘭学の私塾を開いて、福沢諭吉などの人材を輩出した人物だが、ドラマでは若き日の緒方洪庵の姿が描かている。内容はフィクションで、栗山千明の男装姿が美しい。

緒方洪庵は種痘を広めた事でも有名だが、種痘は感染力と死亡率の高さで恐れられていた天然痘の予防を目的としていた。それで薄らぼんやり思ったのが、天然痘が撲滅した後だから、「風邪の効用」にも説得力があるという事だ。

「人間には自ずから良くなる力がある」というのが野口思想の中心だが、上下水道完備で、衛生と医療が高度に発達した文明国であえて言うところに、存在意義と価値があるのだ。

体運動の構造

「体運動の構造」という野口さんの本があって、その本の中では生活と背骨の関係が事細かに説明されている。例えば、眠りの浅い人は腰椎の一番と三番が飛び出すといった具合である。「体運動の構造」は整体操法を学ぶ為の基本テキストだ。

背骨の歪みを体の歪みとは見ずに、生活の歪みと喝破したところに、野口思想の革新性がある。

整体を受けに来た方に、しばしば冷えている、乾いている、食べ過ぎているといった生活上の注意を僕はするのだが、それは必要があって言っている。汗をかいてふかないとか、エアコンで冷えているとか、ちょっとした事の影響が体には大きいのだ。

結局のところ、僕がどれだけ操法に力を入れたところで、整体を受ける人が体を壊す様な生活をしていてはお役には立てないのだ。口うるさく聞こえるかもしれないが、耳を貸して頂きたい。

気宇壮大

サラリーマンをやっていた頃の取引先の社長からハガキが来た。お元気ですかとの事だ。縁が切れて久しいので、なんでまたと思ったが、そういう心づかいをする人ではあった。

その社長さんと彼の経営していた会社は思い出深い。部品メーカーの社長さんなのだが、会社は社長の人間関係でもっていた。外見はマス大山そっくりで、ワハハハと笑って背中をバシバシ叩く様な人だ。

従業員も社長さんに心酔していて、「社長は凄い。あの行動力でその気になればブッシュにでも会いに行くだろう」と酒の席で話をしていたものだ。実際、その社長さんは議員へのロビー活動に熱心だったが。

僕などは部品メーカーの社長が、ブッシュと会って何を話すのですかと真顔で尋ねて、従業員の口をモゴモゴさせたものだが、ああいった気宇壮大さが、スケールとしては百万分の一くらいになって、業績に反映していたのであろう。どんな仕事も、最期は人間力なのだ。

『月刊手技療法』三月号

『月刊手技療法』の3月号でインタビューに応えてます。野口整体との出会いや仕事に対する考え方などを話しています。写真ではネクタイがいい感じに曲がっております。

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織田信長

ここ数日、首の不調を訴えて来院される方が多い。春になって弛むべき体が、弛まない為にそうした問題は起こる。腕や肩甲骨を弛めると、急に楽になったとおっしゃる方が多いが、逆にいうと春は体が弛みやすいので、整体を行なっても変化を起こしやすい。体を変革するチャンスである。

僕は体原理主義者だが、それには理由がある。あらゆる物事の判断のベースは、体にあると考えているのだ。

織田信長が京料理を食べて味が薄いと文句を言ったら、お公家さんに田舎物だとバカにされたという真偽の定かではないエピソードがあるが、この話は肉体労働者は汗をかくから、塩分を補う為にしょっぱいものを好むという喩え話としてしばしば引き合いに出される。

体をよく動かせばしょっぱい物を旨く感じるし、頭が疲れやすい人は自然と甘い物が欲しくなる。何かを旨いとか不味いとか、判断をする基準ひとつとってもそれは体にあるのだ。

そして、それは食べ物の好みに限定した話ではなく人生のあらゆる局面で言える事だ。便秘してイライラし、小水を我慢するだけで焦るのが人間だ。体を何時も敏感に保つ事は、人生の様々な局面でその人を正しい選択へと導く事だろう。

整体教室

最近、整体教室の告知が誤解を招いていた事に気がついた。毎回同じ事をやるのですかという質問を受けるのだ。

教室は活元運動や愉氣、家庭でも出来る救急法や各種の手当ての方法などを練習する事によって、学びながら健康になるというコンセプトでやっている。

これまでは「愉氣」「活元運動」と区別化していたが、二つ並べてあるのがかえって誤解の原因だったようだ。今後は区別化しない事にする。

今日は教室の参加者の方から背骨を触ってみたいという要望も受けたので、教室自体のレベルを上げていこうかとは思っている。

呼吸の間隙

息を吐き切って吸いに移る瞬間、息を吸い切って吐きに移る刹那を呼吸の間隙と整体操法では呼ぶ。

呼吸の間隙には体の抵抗がなくなるので、その時に刺激を与えれば体の調整が容易である。整体操法の奥義は呼吸の間隙の使いこなしにあるといってもいいだろう。

腕力でグイグイ押してみたり、施術にやたらと時間がかかるのは呼吸の間隙を使えないからだ。変化をさせる事が出来ないからジタバタするのだ。オステオパシーで言われる様な5gで変わる手技というのは、呼吸の間隙を身につければ可能だ。

整体操法が身につけるのに十年はかかると言われるのは、結局は呼吸の間隙を身につけるのが難しいというところにある。

頭の体操

新しく空手を習い始めた。今までも習っていたが、別のところでも習い始めたのだ。教えてくださる先生は若い。そして実力がある。

若くて才能のある人は美しい。若いうちに実力をつけた人には、余裕があるからそう見えるのだろう。苦労して何かを身につけた人は、教える立場に回ると、自分の苦労を人にも押し付けがちだ。暑苦しいのは趣味ではないのだ。

習ってみると、自分の体が自由にならない事に気がつく。整体の稽古で腰は鍛えているからよく動くのだが、肩が思う様に動かない。こうした意識と実際の体のズレを埋めていく作業が、頭の体操として僕にとっては最高の娯楽なのだ。

一流の教師に少人数でレッスンを受ける贅沢な時間だった。僕も研究会で操法を教えているから分かるのだが、この手の体を使った技術というのは、少人数でないと身につけるのは難しい。ほとんど不可能だといってよい。

マフィーユ・サラサ

小学校の頃に道徳の教科書で読んだ話だ。確か話の舞台はイギリスだったと思う。ある女主人の家に訪ねて来た外国から来たお客さんが、食事の時に、ボウルに入れられた手を洗う為の水を飲み水と間違えて飲んだというのである。その時に女主人は客に恥をかかせない為に自らもボウルの水を飲み干したという内容なのだが、妙に記憶に残っている。

今日はフランス料理を食べに行った。『マフィーユ・サラサ』という店だ。自由通りを緑ヶ丘駅方面にしばらく歩いたところにある。自由が丘駅から徒歩7分くらいだ。シェフは頑固な職人という風情だが、見かけ通りにひとりで料理から自家製のパンまでを用意しているという話である。看板は地味だが、中に入ると豪華が空間が広がっている。

メインの肉料理として子羊のローストが出て来たのだが、レモンが浮かべられた水が一緒に運ばれて来た。肉を食べて胃がもたれるから、水を飲めという事かと思って飲みそうになったが、その時に20年ほど前に読んだ切りの道徳の教科書を急に思い出した。確認したら、やはり手を洗う為だそうである。

今日は彼女の誕生祝だった。僕が水を飲んでいたら、彼女は飲んでくれただろうか。

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