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2017年3月

2017年3月23日 (木)

リュック・ベッソン

クライアントの方から、布団が悪いのでしょうか?、鉄剤が悪いのでしょうか?、脳梗塞にはならないでしょうか?、鞄が重いのが良くないのでしょうか?等々、ご質問の嵐。こちらからは、それは鞄が重たいのではなくて、心配ごとばかりで頭の中が重たいんじゃないですか?とお応えさせて頂いた。口が減らないとはこの事か。続けて、心配性の人は晴れていても、雨が降るのを心配していつも折り畳み傘を持ち歩いていますけど、今は傘なんて安いのだから、手ぶらで良いではないですか、その鞄、傘が入っているんじゃないですか?とお尋ねしたら、入っているとのお返事があった。ちゃんと良くなるので、余計な心配はしないでくださいとお伝えしたのだが、自分も言いたいことを言ってスッキリしたし、お相手からも全くその通りなので、なんだかスッキリしましたとのコメントがあって、綺麗にオチがついた。

今日は初回の方から、掌からイチゴの香りがするというご感想を伺って、おもしろかった。そういえば、香功という気功があって、やったことはないのだが、それをすると掌からお香の様な香りが漂うのだそうだ。興味深い。

昨日は、リッツ・カールトンに泊まっている友達から、遊びに来ませんかとお誘いを頂いたので、六本木に伺って、部屋で出前をご馳走になっていた。先日、パリのホテルのバーで飲んでいたら、リュック・ベッソンが女性を口説いているのを見かけたという良い話を伺った。その後、バーへ移動したのだが、あまり来る機会もないので、客層が興味深くてしげしげと眺めてしまった。なんかイメージ通りね。椅子に足を45度に揃えて腰掛けた本当にマネキンみたいな女性と、ザ・ヒルズ族みたいな比較的年齢の若い男性の組み合わせを複数、見掛けた。何時間か話し込んでいたのだが、そういえば、そんなことを考えていたんだよなと、再確認をした。開業して何年か経った頃だろうか、物語よりも商品を売るということを考えたのだ。物語には人を動かす力はあるのだが、それだと、端から人を選ぶので、限界がある。それよりは便利なら、ほっておいても人はそれを求めるから、コンビニで良いと。紹介で来る方が多いので、物語はかえってノイズになるという事情もある。だから、ホームページもわざと平たくしておいて、名刺以上の意味は持たせていない。ウォッカを沢山飲んで、気が大きくなった。iPhoneが4から7にバージョンアップしたところで、そんなのは全く進歩ではない。iPadもサイズがただ大きくなっただけ。次のステップとして、網膜に直接映したら、それは進歩だ。手技でそれをやりたいという演説。

2017年3月18日 (土)

ロゴスキー

昨日は銀座のロゴスキーで昼食。創業67年の老舗。学生の頃に、伊勢丹裏のペチカによく行ったのだが、10年ほど前に閉店して以来、ロシア料理難民だった。地元の金沢市がロシアのイルクーツク市と姉妹都市だった関係で、小学校では、時々、ロシア料理風の給食が出た。ジャム入りの紅茶ゼリーというのがあって、評価は分かれたが、自分は好きだった。ロシアンティーも好きだ。壺焼きを久しぶりに食べられて、満足した。

午後一の仕事は、熱湯を足にこぼして火傷をした女性。包帯越しに掌で皮膚を探ると、感応がビリビリと強い場所があったので、鎮まるまで手当を続けた。指先が腫れていたがそれは引いて、痛みも大分、取れたそうだ。ついでに仙椎ショック。火傷をすると、仙椎2番が強張って仙椎孔が塞がったみたいな感触になる。仙椎2番を操作すると、なんとなく皮膚が弛む。そういえば、学生の頃になぜか裸で目玉焼きを焼いていたら、油が跳ねて、お腹を火傷したことがある。慌てて尻を叩いたのだが、自分では如何ともし難かったことを思い出した。

しかし、毎日、2千字を書いたら、50日で完成だと意気込んでいたのだが、途中で書いたものが気に食わなくなった。羅列だとどうしても価値相対主義になるのだが、受け入れられやすい反面、それでは弱い。書いたものを読むと、現状の自分の強みと弱みがよく出ている文章だった。年齢的にも世相的にも、求められているのはそこではない、という気がする。そんな訳で、書き直し。

2017年3月16日 (木)

健康美

前を歩いてるカップルの女性の足元を見ていたら、左の靴の減り方が妙だったので気になった。この踝の感じだったら、左耳にトラブルが出ているはずなのだが、彼氏の方は左側に歩いているから、自分の勘違いだろうかなんてことを考えた。まさか尋ねる訳にもいかない.。

職業病で、人の体のあら捜しをしてしまう。またすぐに見つかる。人体を減点方式で採点すると、本当にキリがない。

これが施術者としての一つのハードルだ。観察力がつくと、かえって施術時間が掛かるという経験をしやすい。穴を全て塞ぐみたいな施術になりやすいのだが、どれが重要でそうでないのか、優先順位をつける訓練が要る。

もう一つは、価値観。節約も結構だけど収入を増やしましょうよというか、病気を治すよりも身体を鍛えましょうというか。マイナスを減らすよりも、プラスを増やすつもりでやった方が、かえって結果の付いて来る場合も多い。対症療法よりも、身体のバランスを整えたら、自然と症状も良くなりましたという形に持っていける方が、案外にレベルは高い。健康美。

2017年3月15日 (水)

内臓の利き側

昨日は休みだったので、昼から喜多由でお好み焼きだった。なるべく薄く広げて焼く。青のりは沢山、ソースは鉄板にも敷いて、わざと焦げ目をつくる。いつも混ぜるのを面倒ぐさがるので、ムラが出やすい。隣では、どこぞの大学の院生だという二人組の男の子が、卒業した後に就職先がないという話をしていた。2人とも実家に戻るらしいのだが、こちらに拠点がないと鎌倉辺りには行かないよねという話をしていて、確かにと同意した。

その後は志楽の湯に出掛けた。ここは露天風呂があるのが良い。お風呂の中で、昔取った杵柄で長拳基本功をやっていた。活元運動や呼吸法も素晴らしいのだが、それ以前に体が固過ぎると動くはずのものも動かない。普通に柔軟体操をやってから行った方が効率は良い。

近頃、体を整えることを熱心にやっていたら、左足の外反母趾が良くなった。外反母趾というのは腎臓の老化現象なので、腎を調整したら改善する。巻き爪も同じ方法論で行ける。ただ、巻き爪の方は時間が掛かる。

腎を調整するには、後ろを振り向くみたいにして、体を捻ることを繰り返す方法が良い。この体操を左右行うと、やりにくい側がある。たいていは、同側が外反母趾気味になっている。あまり認知されていないのだが、2つある臓器には、利き目、利き腕、利き足みたいに、利き側がある。自分の場合は、左側の腎がそうで、だから、左足が外反母趾になっていたのだが、利き側を使う機会が多いので、どうしてもそちら側が疲れやすい。

2017年3月12日 (日)

基本訓練

体操にはコンセプトがあって、おもしろい。ラジオ体操は、全身の筋肉が動く様にというコンセプトでつくられた体操らしい。自分がやるのは、活元運動、こちらは必要なところが動くというコンセプトの体操。

寝る前に、一通りの流れでやる。小一時間くらいだろうか。

1.整体体操
2.活元運動
3.深息法
4.脊椎行氣法
5.合掌行氣法

活元運動と深息法をバランス良くやるのがコツ。活元運動をやると体は敏感になるのだが、それだけをやっていると体は弛みっぱなしで、満員電車が苦手になったり、ファストフードを受け付けなくなったりと、生活がヒッピー化する。一方、深息法をやって丹田を鍛えていくと、我ばかりが強くなって、変な支配欲が出やすい。両方やると中和されて、良いところが残る。

2017年3月11日 (土)

ヤマト体操

ヤマト運輸がAmazonでパンク寸前だとか、20何年かぶりに全面的な値上げを検討しているというニュースが話題だ。

修業時代、ヤマト運輸でアルバイトをしたことがある。超優良企業ではないだろうか。それは、佐川運輸と郵便局でもバイトをした経験があるので、比較しての話。郵便局でバイトをしたのは、まだ民営化される前のことだったが、ものすごく仕事が緩くて楽だった。流石、親方日の丸、日本型社会主義というのはこういうことかと感動した。年末年始だけは地獄だとしても。一方、佐川運輸はその人使いの荒さと言ったら、戦国時代かという雰囲気。配送中に、荷物を乱暴に扱った事件があったけれど、あの働き方では無理もない。

その点、ヤマト運輸は徳川幕府。生かさず、殺さず、でも平和。休憩もストップウォッチで測ったみたいなんだけど、労働の喜びを知るというか、働いていてまったく悪い気にならなかった。仕分けをするベースのラインにいたこともあるので、洪水の様にゴルフクラブが流れて来た光景が目に浮かぶ。今はもっと大変なんだろうな。

そういえば、ヤマト体操というラジオ体操を簡略化した体操があって、合理主義の極み。ディテールに本質は現れるというか、末端を見たらそれで全体が分かるというか。当時、三社を比較して、会社組織についてすごく考えさせられた。

2017年3月10日 (金)

痒い所を書きたい

仕事で経験したものをまとめてみたい。目標は中井久夫の『治療文化論』。大きく出たぜ。

それで、本を一冊書く様なつもりで、文章を書いているのだが、難儀をしている。ロジックを組み立てるのが苦手なのだ。一方、羅列は得意なので、方法論から考えてみた。

想定しているボリュームは10万字、400字詰めの原稿用紙300枚で、文庫一冊分。2000字の文章を50本書いたら完成。むしろ、4000字で25本の方が楽だろうか。

横に羅列する中で、立ち上がるものをロジックとしたい。とにあえず、2本は書いた。

ただ、このBLOGも10年近く書いているので、コピペで良いかもしれない。書き散らかしているので内容を忘れてもいるし、まとめた後には全て削除して、なかったことにしてしまいたい様な気もする。

しかし、不思議な話もあるものだ。先日、角金で大学の先生とご飯を食べていたのだが、後日、インスピレーションを受けたので、本を出しましょうという話になった。

いやあ、最初の部分は確かに私かもしれませんけど、ちょっと専門外過ぎますよという話をさせて頂いた。じゃあ、監修でという会話があったのが、今日の話。実現したら畏れ多い話だけど、もう出版社に渡りをつけたというので、たまげた。

持ち込み企画の『不定愁訴の7割は目で改善』(仮称)は、編集会議待ちだ。それも、どうなるだろうか。

2017年3月 9日 (木)

春の体調

春は一番、ダイエットのしやすい季節だ。

なぜかというと、下痢をしやすいから。

春先には、体は冬の間に溜め込んだ脂を排泄しようとするので、自然とお腹をくだしやすい。

体質によって、普段からお腹をくださないという人がいるけれど、そういう人ほど、この時期は逆に体調を崩しやすい。3種体癖の苦手な季節。

肌が荒れたり、首が痛いという人も多いのだが、どちらも、お腹が張っているのが原因だ。然るべき排泄が行われると、どちらも改善する。

体の排泄しようとする働きというのは貪欲なので、下痢で出ないと、代わりに肌から出そうとする。だから、この時期にはお肌のトラブルが増える。

お腹と首の話は、関連が分かりにくいかもしれない。これは論より証拠。お腹を調整すると、首が楽になるので、驚かれる。そういうものなのだ。

更年期の多汗なども同様の現象で、この時期にはお小水の出が悪くなるので、体は代わりに汗で出そうとする。

汗を悪者にするのは間違いで、小水も汗も出ないとなると、いよいよ体には負担だ。これも、お小水の出を良くしたら、汗の出る必要がなくなるので、多汗は改善する。

内股を小便出しの急処と呼ぶのだが、開脚をして、張りを取っておくと出やすいかもしれない。あとは、体を捻る様な体操を行うと、腎を刺激するので、小水は出やすい。濡れたタオルを絞るみたいというと、変な喩えだけど。

2017年3月 8日 (水)

恋の罪

昨日は休みだったので、朝から園子温の『恋の罪』を見ていた。

東電OL殺人事件を題材にした映画なのだが、実は、被害者女性の知人がいらしていて、背景を少し伺っているので、興味深い。

作中、被害者の女性は3人のキャラクターに分割されている。水野美紀演じる刑事、富樫真演じる大学講師、神楽坂恵演じる主婦の3人。

刑事は夫の後輩と不倫関係にあり、大学講師は売春をしている、主婦は有名小説家の妻であり、何不自由ない暮らしを送っている様でありながら、偏執狂の夫からの抑圧に苦しんでいる。

三者三様に病んでいるのだが、主婦が、大学講師にほとんど洗脳される様な形で、売春にのめりこんでいく。話の山場では、大学講師の母親が出て来るのだが、彼女が、大学講師がそうなった原因として配置されている。

母であるよりも女だったというか、夫を娘に取られた妻として描かれているのだが、大学講師も極度のファザコン。

この辺りの関係性の描写は、リアルに感じた。仕事で、母娘の難しい親子関係をしばしば目にするのだが、母親から認められなかった娘さんの方には、独特の自己評価の低さを感じるからだ。かえって、社会に過剰適応して見えるというか、男性化している様にも見えるのだが。

逆に、母息子の関係性が密接で、こじらせている場合は、息子さんの方には全能感というか、社会と折り合いをつけるのに不都合なくらいの自己評価の高さを感じなくもない。あまり言語化は出来ないし、例外も沢山あるけど、パターンではあるな。

2017年3月 6日 (月)

この仕事をしていると、薬嫌いの方とよくお会いする。

自分自身は22歳に飲んだのが最期。医師のお宅に遊びに行って、滞在中に気持ちが悪くなった。連日、遊び歩いていたのだ。

顔色を見て、一言。食べ過ぎだ、というご指摘を頂いた。正解。

これは自分が悪い。お渡し頂いた胃薬は礼儀として飲んだ。それで楽になった。

さて、薬は肝臓で分解するので、慣れると、肝臓の感触で、曖昧な区別がつく様になる。

抗生物質を批判する人は多いのだが、実は、ピルの方が体への影響は強いという感想を持っている。肝臓がゴムマリみたいな感触になるし、量が多いと、若干、顔も脹れる。

漢方については、無添加の健康食品みたいに捉える方もいらっしゃるのだが、正直、肝臓の感触を見ている限りにおいては、市販薬との区別があまりつかない。葛根湯などもそう。

だから、漢方が素晴らしいのは、薬の質というよりも、十把ひとからげに処方しないで、個人の体質に合わせた証をとるところではないだろうか。

リタリンなどは、時々、気の毒な人を見かける。もう舌の呂律が怪しい。でも、本人よりも家族が大変な場合もあるから、功罪を簡単に問えるはずもない。

あとは、睡眠薬。常備薬の中ではこれが一番、手強いかもしれない。長期間、服用している方が多いからだ。

整体の施術を行っても、もう神経に適切な反射が起こらなくなっているので、効かせるには、ちょっとしたノウハウが要る。不眠症の方は、身体的なものに少し鈍くなっているのだ。

不眠症の方に、騙されたと思ってお試し頂きたいのが、耳かき。それも耳掃除ではなくて、耳の中をほぐす様なつもりで丁寧にやってみてほしい。

味付け

最近、稽古というと、木刀の素振りと基本の突き蹴りばかりをやっているのだが、だんだん速くなって来た。

そうしたら、今まで速いと思っていた相手の動きが、少し遅く感じられる様になって来た。

認知の仕組みのおもしろいところで、自分が速く動ける様になると、自然と相手の動きを遅く感じる様になるし、自分の突きの威力が上がると、相手の突きを受けても平気になる。

つまり、情報の処理能力の問題で、自分で処理出来る情報であれば、相手の情報も処理することが出来る。

転じて、語学では聴き流しがブームだけど、聴き取れるから喋れるのではなくて、喋れるから聴こえるのではないだろうかなんてことを考えた。ロサンゼルスとかチョコレートとか、口馴染みのある単語であれば、聴き取れるものね。何か語学の一つでもやって、仮説を確かめてみよう。

整体の勉強も、まずは自分の体を整えるのが上達の近道。自分の体の調整が出来たら、人のも出来る。体操もしっかりやると、人体がどのくらいの刺激で変わって、また変わらないのかといった様な見積もりが分かる。後は、年齢や体質の異なる他人の体だと勝手が違って来るので、その微調整をしたら、それでもう使える。

振り返ってみると、自分の施術については、修行時代の方がかえって上手かった様な気もする。ただ、そのままでは使えなかった。なぜかというと、練習仲間は自分でも体を整えている人がほとんどだったので、少ない刺激で体が変化するのだ。仕事で同じことをやっても、間に合わない。だから、味付けをかなり濃い目にしてある。

GLANTS

昨夜はバーで沈没していた。目が覚めたら、3時だった。

それで真理に到達した。ウィスキーが一番、コスパが良い。二番目が焼酎のお湯割り。ビールを何缶も空けるくらいなら、アルコール度数の高い酒を飲んでいた方が、財布にも体にも優しい。

Grantsが、良いです。

ところで、酒の強い人の体を見ていると、飲んだ結果として、足が張っている。酒の苦手な人は肝臓だけが張るのだが、強い人は体全体で飲む様な感じだ。

だから、しばしば足が痛いという人が、大酒飲みだということがある。尿酸値には出ていなくとも、ほとんど痛風様の症状。

似た様な話で、以前、やはり足が痛いという人のお体を拝見したら、糖尿病っぽい足をしていた。持ち上げた時に妙な軽さがあり、独特の蝋の様な感触がする。

ご本人は数年前の怪我の影響で、足が痛いのではないかというおっしゃっていたのだが、いやあ、これは甘いものの食べ過ぎじゃないのかなと思った。ある程度以上の年齢になると、本当に、そういうことばかり。

ただ、そういう人には、整体がよく効く。飲み食い出来るだけの体力があるからだ。

後は、ほんの少しの養生。自分も今日は小食にしておこう。足三里が張って、しょうがない。

2017年3月 5日 (日)

スコセッシ『沈黙』

今年から、祝日を休みにするつもりで告知していたのだが、色々と無理があるので、取りやめにした。

今週の定休日の火曜日は、新宿にいた。

創業は大正11年、トンカツの発祥店だという説のある王ろじで、名物のとん丼を食べた。カレー丼にトンカツが載っているという代物。カツカレーでは、ない。衣には小麦を強く感じて、やはりなんとなくレトロ。

新宿に来たのは、スコセッシの『沈黙』が目当てだ。2時間40分もある大作なので、劇場が敬遠するのか、上映館は少ない。

観客は60代が多い様に見えた。平日の昼間にも関わらず、ほぼ満席。

作中では、遠藤周作の小説を原作に、島原の乱からしばらく経った九州の農村を舞台にして、キリスト教徒の迫害が描かれている。

胃に重たい映画だった。冒頭から、拷問なのだ。張り付けにされて、熱湯を掛けられていた。

それを見てすぐに、メル・ギブソンの『パッション』を思い出した。キリストの礫刑の前後を描いた作品なのだが、これも劇場で見た。よりにもよって、キリスト教系の団体が主催するイベントで見たのだが、会場から、すすり泣く声が聞こえてきたものだ。

勿論、自分はキリスト教徒ではないので、『沈黙』を見ても、そうした形での感情移入は出来ないのだが、普遍的なテーマについて、考えさせられた。

作中では、踏み絵がキーワードになる。マリアやキリストが描かれたプレートを踏めるかどうか、踏み方の如何によって、代官はキリスト教徒かどうかを見分ける。

敬虔な信者は、踏み絵をして棄教するよりも、拷問を選ぶのだが、それは本人の選択。話のハイライトでは、神父である主人公が踏み絵を迫られるのだが、この時、担保にされるのは神父の命ではなくて、信者の命なのだ。

自分が踏み絵をしたら、信者の命は助かる。この時、神父は踏んで信者の命を助けるべきだろうか?それとも、自らの信仰を守るべきだろうか。既に、仲間の神父は、踏み絵を拒んで殉教している。

一番良い役なのは、窪塚洋介演ずるところのキチジローだ。飲んだくれの一信者なのだが、実に簡単に踏み絵をする。その後、偽善的な懺悔を済ませて、同じことを繰り返す。

神父は、悪には美学がある、悪でさえない惨めな男だと、彼を評する。作中で、もっとも格好良い台詞だ。ただ、はたして、一度でも踏み絵をしてしまった後で、そんな風に言えるだろうか。

2017年3月 3日 (金)

袖擦り合うも他生の縁

昨夜は研究会の後、べったこで、クライアントの方と飲んでいた。

ご紹介頂いた方が、昨年に亡くなられたというご報告を頂いた。

末期癌の方だったが、亡くなられる二か月前の夏に一度だけ、施術をさせて頂いている。

あの人はこういう人だったと、エピソードを伺ったのだが、一度だけお会いした故人の話をそうして伺うのも、不思議なものだ。袖擦り合うも他生の縁か。

続けて、あの人もこの人も亡くなったという話を伺ったのだが、年上のご友人の多い方なのだ。自分もそうなので、いずれはこうして故人を惜しむのだろうかなんてことを考えたりもしたのだが、実際には分かったもんじゃないな。年を取るのは順番通りでも、生き死にがそうとは限らない。

20代の後半に開業したので、若い若いと言われたものだが、順番ですよというのが決まり文句だった。さすがに、最近はもう言われない。

人の体を見て来て、保証書が付いているのは40歳くらいまでという感想がある。

同業者には割と長生きしない人も多いのだが、ある種のアスリートなので、体を酷使する。それはもうしょうがない。自分はどうだろうね。

2017年3月 2日 (木)

ボランティアと仕事

昨日、ボランティアをしている学生のクライアントの方と話をしていて、ボランティアとお金を受け取ってする仕事の違いは何でしょうねという話題が出た。

すごく良い視点なので、自分の体験を話させて頂いた。

マッサージなんて誰でも出来そうな気がするのだ。ついでに、例えば、家のカレーは美味しいけれど、お店のものとは違う。じゃあ、その違いは何だろうかと。

そこには需要と供給があるというか、もっというと、お客さんのオーダーがあるので、商品でもサービスでも、それに価値を認めるのは自分ではなくて、お客さんだという話をした。逆にどうすれば、価値を認めて貰えるだろうか。仕事って、そういうものでしょう?

そうした意味では、自分が価値を決めるのがボランティアで、相手が価値を決めるのが仕事かな。

丁度、お昼に小原先生まんぷくで、焼肉を食べながら、似た様な話をしたところだった。

好きなことをするのは前提なんだけど、じゃあ、どうすれば、好きなことが続けられるかという話題だったのだ。

結構、これは話の通じる相手と通じない相手に別れる。しばらく前にも、初対面の相手と話をしていたら、それは経営者の視点だと言われて、ニュアンスからはガッカリしたものを感じた。

話が通じないもんだなあ、と思ったのだが、日本には職人礼賛の文化がある。

例えば、ドラマの『下町ロケット』を見ていたら、競合他社とのコンペに負けた翌朝に、不眠不休で働いた社員を集めて、阿部寛演じる中小企業の社長は、コンペには負けたが、技術力では負けていないと言い放ったものだけど、それを格好良い姿として描くところが日本の病ではないだろうか。

大体が、経営とか僕が言うと、知っている人からは笑われるからね。サラリーマンの生徒と飲んでいたら、予算とかあるんですかと尋ねられて、ある筈ないじゃないと苦笑したことがある。

そんな偉そうな話でもなくて、もっとスケールが小さくて、もっと身近な関心。自分の作品について、客観性と責任を持つというか、やっぱり職人としての話だよ。それを経営と職人に、評価軸を分けることで、逃げることは出来ない。要するに、人にとって良い物であれば、普通に売れるはずだ。

後は時流。開業初期に、ものすごく考えたのだけど、現代で最高品質のタイプライターを作っても、それはどこにも需要がない。自戒を込めて、書いておこう。

出来の悪い日本組織論

昨年、アメリカへの旅行に行く前日。

ガンシューティングのツアーに申し込む為に、タフ高橋に国際電話を掛けた。

明日の14時からと申し込んだところ、電話の向こうから、スケジュールを確認しながら、Ashita is tomorrow、Ashita is tomorrow と呟く声が聞こえて来て、ヤベエと思った。

実際にお目にかかると、人情味あふれたオジサンで、サンフランシスコへ旅行に出掛ける際には、実にお薦めだ。面白い話を沢山してくださる。FBIなど、書けない話題が多いのだが。

アメリカに初上陸、飛行機から降りて、ホテルニッコーで待ち合わせ。右も左も分からないままの3時間後には、射撃場で44マグナムを撃っていたので、結構、クラクラする様な体験だった。

射撃場への車中、911以降、日本人が少なくなったという話を教えてくれた。サンフランシスク全体で、5000人くらいらしい。また、2000年代のITバブルで、西海岸の家賃が高騰して、とても住める様な金額ではないらしい。

射撃場の帰りに、日本人街に案内してくださるというので、ご厚意に甘えたのだが、ビル一つの中に、鮨屋、紀伊国屋、喫茶店などが入っている。

翌日に、中華街に出掛けたら、華僑が身を寄せ合って暮らしているという感じだった。横浜や神戸は観光地だけど、こちらは生活する場所に見えた。そして、街は大きい。

日本人街と中華街を見比べて、ああ、こういうことかと、一人、納得した。

高橋さんも言っていたのだが、日本人は一人で喧嘩をするけれど、中韓の人達は集団でするので勝てない。

いやまあ、自分は右翼でも何でもないつもりなのだが、中途半端な個人主義を日本に導入しても、弱くなるだけだなんてことを思ったのだ。むしろ、中韓の血縁主義には、合理性がある。

どういう意味なのかというと、日本人がアメリカでドルを得ようとすると、まずそれは日本人社会からなのだ。アメリカへの留学生が、鮨屋でバイトするなんてありふれた話だけど、ロサンゼルスで日本人の経営する鮨屋に行ったら、空手割というのがあって、日本人の稽古仲間には割引があった。寄る辺のないところで、頼れるのは同国人なのだ。

高橋さんなどは、60年代に就労ビザもなしに、渡米して、飲食店の裏口から皿洗いのバイトを探したなんて猛者だ。日雇いの土方もやったし、ホームレスをしていたことさえあるそうだ。

ただ、たいていの人はそこまで強くはない。そうなると、連帯が必要になるのだが、最早、血縁主義もなければ、戦前にあった様な上京した同郷人が助け合う様な文化もない。

アメリカに留学して、ほとんど挫折して帰国して来た様な人を沢山知っているけれど、海外で生活していくのは、語学が出来るとか、そういうことでは済まない話だと教わった。

最近、電通の絡みでオーバーワークが問題になっているけれど、前提にあるのは、会社への帰属意識を前提にした就業のスタイルだろう。転勤でも何でも、会社に服従するのだが、その代わりの身分保障と社会保障、終身雇用が約束されている。

だから、自ら、社会的なコンセンサスとして、日本的な経営を手放すのであれば、一人でやっていけるくらいに個として強くなるか、代わりとなる連帯のモデルが必要なはずなんだけど、それがない。

そっちの方が、本当の問題ではなかろうかなんてことを考えた。一瞬、ノマドワーカーというのが流行ったけれど、それは裸と同じではないのという話。80年代に、フリーターがもてはやされたのと、何が違うのか分からない。

それを個人事業主が言うのは、もっとお笑い種なんだけどね。

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