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2017年11月

2017年11月30日 (木)

駒形どぜう

火曜日は浅草の駒形どぜうに出掛けた。

甘辛いのが江戸の味だというのだが、ネギを山盛りにして、山椒と七味を沢山掛けて、出汁醤油。ドジョウの生臭さは感じない。熱燗を一本、二本。

二軒目でバーに落ち着いた。そこの店員がサウジアラビア人だった。珍しい。実際、その男性が言うには、東京で同国人に会ったことはないそうな。

どうして来たの?と連れが尋ねたら、日本のカルチャーが好きだとのお返事。アニメ?と尋ねたら、漫才という答えがあって驚いた。

自国のネットで漫才を見て、興味を持ったという話だった。やり取りが分かるのかと尋ねたら、分からないという返事はあったけれど。

いよいよ冷えるが、駒形どぜうは冬にはナマズを出すそうだ。

2017年11月20日 (月)

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法

先日、新聞社の記者の方にお越し頂いた。初回の方だ。

どうして来ようと思ったのですかという趣旨のやり取りをしていたら、物書きなので、文章を読んだらどういう人か分かる。それで、大丈夫かなと思ったとのお返事があった。

そうなのだ。昔から、施術よりも文章を褒められる男なのだ。そこに心中複雑な時代もあったのだが、今はむしろ嬉しい。まあ、端から文章の素人なので、気負う理由もない。

ただ、背景には涙ぐましい努力がある。20歳くらいの頃に、福田和也の『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』を読んだら、文章の上達方法として、本の内容をノートに書き写すという方法を紹介されていた。それをそのままやった。

クライアントには出版関係の方が多いので、ダンオーガシックスを書き写したというと、必ずウケて、こいつ大丈夫かなという顔をされる。まあ、起承転結と句読点を打つ位置などには、敏感になる。

文章を書くに辺り、気を付けているのは、ギャップを無くすこと。文章と人物が違って見えたとしたら、それは恥ずかしい。

お越し頂いた方からは、イメージ通りの人でしたとおっしゃって頂くことが多いので、それは上手くいっている、つもり。ノンフィクションなので、それはそうだろうという気もする。

先日も、クライアントの方から、先生がボランティアとかしてたらガッカリしますというコメントを頂いて、大笑いした。末永いお付き合いをさせて頂く為には、上手にガッカリして頂く技術が必須。

自意識過剰

昨日は体育館の奥の部屋で稽古をしていたのだが、手前の部屋を使用していた別団体が帰る時に電灯を消していった。

すると、先生がそれは嫌だから点けろとおっしゃるので、どうしてだろうかとしばらく考えて、ああ、暗闇に人が潜むと分かりにくいからだと思い至った。

しばらく武術をやっているが、武術家という自意識はないなあ。マズイかもしれない。

そういえば、凄い人を何人か知っているが、いつも視界の一番良いところに立つし、背中側に立つとすごく嫌われる。その手の行動パターンは自意識のなせるわざなので、その人がその人であるという点において、技術以上に重要。

整体には自意識がある。だから、人からは理解不能に見える行動も、自意識のなせるわざというか、帰属意識というか、職業病というか。

ところで、昨夜はセブンイレブンで自由が丘バーガーの親父さんとすれ違った。彼には葉巻などを頂いて、すっかり餌付けされてしまっている訳だが、腹が出ているんじゃないのと撫でられた。丹田ですとコメントしたのだが、実際に整体の呼吸法をやると下腹が出る。

学生の頃、友達から内臓の病気なんじゃないのとよく言われたものだ。数年、ろくすぽやっていなかったのだが、この数ヶ月の訓練で、お腹がしっかりして来た。ちょっと元気が余りつつある。

肩幅が広くなるのを気にして水泳が出来るかというか、むしろ、その肩幅に水泳選手の自意識は宿るのかもしれないといった類の話。

夕日ヶ丘三丁目

昨夜は夕日ヶ丘三丁目で焼き鳥。旨くて、安い。自家製味噌を塗った焼きおにぎりが素晴らしい。

稽古に出掛けていたのだが、一月、工夫していたところを褒めて頂いたので良かった。

立ち方をいちいち直していたのだ。やはり腰を落とす時に、地面を意識するのはダメだ。相手は前にいる。手で床を押すよりも、壁を押すイメージ。膝と足首の角度も、それなりにする必要がある。そんなことをやっていたら、11月はあっという間だった。

ところで、的確に褒めて、叱る時は三割ズラせ、とよく言われる。どこで?整体でなのだが、的確でないと分かっていないと取られるし、本当のことを言うと恨まれる。

これが難しい。自分の場合、褒める方は大丈夫なつもりなのだが、人に注意をする時にトドメを刺してしまうことも多い様な気がする。

そういえば、以前、目の不自由な方を見ていて、その間にも視力がどんどん落ちていく。

彼女が帰った後に、チョコレートが落ちていることが数回あったのだが、明らかに食生活が要因。それを指摘したら、周りからも言われるのだが、冗談だと思っていたというコメントがあって、それがジレッたくてカリカリしたことを思い出す。ちょっと感情的な物言いが多かったので、あれは良くなかったなあと反省するところだ。

この仕事では、身内を見るのは難しいと言われるのだが、それも道理。失敗するのは、大概、対象に感情移入をし過ぎている時で、その辺りをサッパリさせておく必要がある。

2017年11月19日 (日)

旧ヤム邸シモキタ荘

一千万円の時計を盗まれたというニュースを見たのだが、不思議だ。あまり物にこだわらないので、万が一、金が余ってもそんなものは買わないだろう。車も軽が良い。狭い日本の道で、大型車に乗る気が知れない。そもそも、運転が出来ない訳だが。

住まいも考えてみたら、四畳半の風呂なしアパートに住んでいた頃が一番快適だった。銭湯徒歩1分、図書館も近くにあって、まったく不自由しなかった。掃除も楽だ。

衣食住では食のウェイトだけ高い。といっても、昼ご飯が中心なので、まあ、大したものでもない。先日は下北沢の旧ヤム邸シモキタ荘へカレーを食べに行った。スパイスカレーの最高峰ではあるまいか。

本にもこだわるかな。特に、図書館に入らなくて、十年後に手に入れるのが難しい様な本。結果的に、手元に残るのは、ガラクタみたいな本ばかり也。失礼千万な話の流れだが、先日も藤林靖晃の小説を買ってしまった。

しかし、最近、服に興味が出て来た。ファッションにそれほどの興味はないので、主に着心地。今日はユニクロで冬物のダウンを買ったら、軽さと暖かさに驚いた。この手の製品は、年々、性能が上がっている様な気がする。

ところで、服は身体の延長なので、服と体調には相関関係がある。例えば、色と食欲。しばしば食欲不振のご相談を頂くのだが、大概、相談主はパステルカラーの衣服をお召しになっている。症状が改善すると、おもしろいもので、赤の原色を着る様になる。赤でなくとも、色の濃くなる傾向がある。

時々、「ファッションセンスのない男のファッション講座」という名目で講座をやっている。色以外にも、衣服と身体との関係は見出せるのだが、服次第で体のバランスが変わることが観察出来る。

何を着れば良いのかというと、基本的に自分に似合うものを着れば良い。それ、何も言ってないじゃない?という話なのだが、サイズがチグハグだったり、似合わない格好をしていることも多いものだ。

あとはなんだろね。服は体型を補完するものなので、撫で肩の方が肩に飾りのあるジャケットを着たら、姿勢が自然と良くなったりもするし、胸郭の固い方がちょっと長めのネックレスをしたら、肩凝りがよくなったりといった具合。

一般論としてはアレだ。若いうちは何を着ていても良いのだが、高齢になるほど服が映えるし、フォーマルでないと決まらない。お金を掛けないとダメね。

2017年11月 8日 (水)

発達障害

先週、発達障害のお子さんをお持ちの親御さんの集まりがあった。意図した訳ではないが、そうなった。

もう成人したお子さんの親御さんがおっしゃるには、時間が解決するので学校などには行かなくても良いとのこと。その場には、元は不登校だった大学生のお子さんが同席していたりする。

一方、現在進行形の親御さんは、ちょっとナイーブ。プロフィールに多動症気味の子どもだったと書いてあるものだから、質問攻め。

当事者として質問されている訳だが、実は不登校の経験はない。ただ、授業中に椅子でシーソーをして何度も転ぶ様な子どもだった。当時、親が呼び出されて、特殊学級を薦められているくらいなので、結構、本格的。

後日、そんな話を別の方としていたら、学歴を付けて、とりあえず食べて行ける様にしたら良いというコメントがあった。その方は東大を出ている訳だが、まあ、勉強が出来たらね。

自分は勉強はサッパリだったが、やりたいことがハッキリしていたので、進路に悩むことはなかった。その点、確かに、時間が解決する問題であって、親が出来ることは意外に少ないのかもしれない。

さて、身体的にはこうだと、とって付けた様な話をするならば、形よりも状態について気が付くことがある。体は力んでいるというよりも、妙に力が抜けているのだ。特に、首。

自律神経には体を興奮させる交感神経と鎮静させる副交感神経があるけれど、副交感神経が過剰に働いている。それとも、交感神経が働かないと言うべきか。

いずれにせよ、交感神経が働く様な調整させて頂くのが常。施術には体を弛めるイメージを持たれやすいのだが、必要があれば、むしろ、緊張を誘導する。臍の上にあるツボを使う。

最近も、朝起きられないし、授業中に眠くなるというお子さんのご相談を受けたので、それをやったら、今度は興奮し過ぎて、大人しい子だったのに学校で喧嘩をして来るくらいだったというご報告を頂いた。眼なども途端にギラギラして来るので、おもしろいものだ。

2017年11月 4日 (土)

養生訓2017

数日前、友達が施術を受けに来てくれた。

彼は100キロ越えなのだが、90キロの頃はスパッと施術が効いた。100キロを越えた頃から、倍くらいの刺激が必要になった。

前提として、症状も増えたのだが、体にはキャパがある。前の様にいかないのは君の問題だからと、断食を薦めておいた。

それでも、頭痛は改善したそうで、良かった。

それにしても、言う事がワンパターンになりつつあるのだが、現代人の生活には共通した傾向がある。

傾向というのは、二つの過剰と二つの不足。

過剰は視神経の緊張過剰と栄養過剰、不足は水分不足と運動不足。

だから、クライアントの方から、生活の何を気を付けたら良いですかというご質問をしばしば頂くのだが、つまり、スマフォを見る時間を減らして、たまに断食をして、水を増やして、適度な運動をする、それだけの話だったりする。

そして、適度な運動には整体関連をお薦めしたい。以上。

2017年11月 3日 (金)

数息法

昨夜の研究会。最近、整体の勉強を始めた女性だが、雑念の多いタイプ。頭の中が街宣車みたいになっているので、まずそれをなんとかしてくださいという話をしていた。

抽象的な精神論ではない。体の緊張が強かったり、頭が忙しかったりすると、整体流の観察力は落ちるのだ。具体的な要求。

人の緊張・弛緩を見て取るのが観察なのだが、自分が緊張していたら、相手の緊張はまず分からない。自分が大きな声で話していたら、相手の小さな声は聴き取れないのだ。静かな状態をつくる必要がある。

逆に、調子が良いと、それこそ握手をしたら、相手の悪いところが分かるみたいな感じになる。いつもそんな訳にはいかないけれど。

色んな訓練方法はあるのだが、頭を静かにする為には数息法が効果的。方法は、吸った息を数えるだけ。たいていは雑念が浮かんで、途中で数が分からなくなる。そしたら、一からやり直し。歩きながらでも、座りながらでも出来る。

まずは100が目標。現代人は頭が忙し過ぎてボンヤリ出来ないので、それだって大変なはずだ。実際の方法がないと、ただの精神論になってしまうので、とにかくやるのが大事。

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