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2018年10月13日 (土)

『息覚 呼吸から≪我が唯一の望み≫へ』小椋孝子・浜田貫太郎/著  幻冬舎ルネッサンス/刊

2年ほど前、栗本慎一郎さんの本を読んだら、何千~何万年か前に人類はシベリアに一斉集結しているという趣旨の記述があり、興味深かった。誰かに話を聞いてみたかったのだが、都合良く、言語学者の先生がいらしていた。丁度、ご予約が昼時だったので、施術後にそのまま食事にお誘いして、角金で話を伺った。

言語は民族と共に移動するので、遺伝子の移動を追うのが言語学の重要なアプローチなのだ。そうしたら、確かに、ある時期の南シベリアに遺伝子的な偏在が顕著に見られるのだそうな。普通に考えたら、当時のユーラシア大陸には、そこにしか住めない様な環境条件があったのかもしれない。全くの専門外なのだが、バベルの塔崩壊以前の世界にロマンを感じた。

話は脱線して、そこには神以前のコンセンプトがあったとおっしゃるので、それはアニミズムと何が違うのか?といった様なことを話していたのは覚えているのだが、何かの話の流れで、呼吸は感覚器官だという話をしたらしい。らしいというのは、実はあまり覚えていないのだが、後で言われた。

それが彼女のツボにはまったらしいのだ。というのは、日本の言語学はソシュール由来のアプローチ法が主流なのだが、海外では脳科学などを援用したアプローチ法が取り入られていて、海外での研究経験の長い小椋先生にはフラストレーションだったのだ。そこに何のイタズラなのか、呼吸が感覚器官だという話が、言語学的なインスピレーションとなった。何だか訳の分からない話だが、書いている本人にもよく分かっていないのでしょうがない。

それを論文にしたいとおっしゃるので、お好きにしたら良いですよとお応えしたのだが、これまた律儀な話で、着想は先生だから、名前をクレジットしたいというお話を頂いた。いや、そもそもがフレーズだけだし、言語学の論文にクレジットがあっても、私の仕事の足しにはならないからと再び固辞させて頂いたのだが、そうしたら、本にしましょうという話になった。じゃあ、原案とか監修で良いですとお伝えもしたのだが、共著になった。小椋先生の学者としての仁義の切り方、見事である。

10年後には誰かが書いているかもしれないけれど、今、出せば一番です、という台詞が印象的。それは楽しいかもしれない。

呼吸が感覚器官だというロジックの最初の部分を自分が書いて、そこから小椋先生が論理展開した本が出来た。まったくもってキメラの様な本だ。自分の作業はもう随分前に終わっていて、編集会議にも一度出ただけ。後の作業も費用も小椋先生にお任せ丸投げ。おんぶで抱っこの本である。だから、あまり実感がない。10歳くらいの男の子がいきなり訪ねて来て、お父さんと呼ばれた様な感じ。命名も小椋先生に依る。

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そういえば、小椋先生との出会いは、武井先生の企画されたインド旅行だ。それをきかっけにして施術にお越し頂く様になったのだが、実はそれも謎。良いところを見せた記憶が1つもない。暇さえあればタバコをスパスパ吸い、退屈したら空手の練習をし出し、旅の参加者同士で部屋に集まってトランプをした際には、ラム酒を一気に煽って、それを先生のベッドにこぼしている。人生は分からない。

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